怒りの感情のベクトル

が、外側に向っているとかつて書いたが、今度は内側に向っている。
その結果、自分は、人間として、男として愛される価値がない、という思いにとらわれてしまっている。さらに、研究者としてもまったく評価に値しないという思いにもとらわれている。
要するに、自分自身に対する評価が極度に落ちている。
すると今度は、どうしてこんな思いをしなきゃならないのか?どうして自分はこんなに生きにくいのか?と考え始める。自分はその問いに対する答えを、自分に価値がないから、というより、父親によって与えられた種々の足枷があまりにも重いから、ということに見出す。
したがって、父親が、今まさにこの瞬間も、隠し財産(の一部)である立派な邸宅に、のうのうと、そして例によってだらしなく、小汚く生活しているということへの怒りが再び湧いてくる。彼に対する怨嗟と呪詛。

...このようなことを一日に何十回も繰り返すのだ。どうだ、変だろう。

(って架空の誰かに怒ってますね、この文章は。)