感想

洗濯機は自分自身かもしれない。その中でぐるぐると回る水は、自分の心であり、回るということ自体は精神的エネルギーの発露であるように感じる。あるいは、回るということは翻弄されることを象徴しているかもしれない。
 父親の衣類を洗濯した水は、本来、父親の撒き散らした害毒に汚された自分の心のようにすっかり灰色に染まって、どろどろしてしまっているはずのもの。
 だが、なぜこの水は透明で清々しいのだろう。もう灰色でもどろどろでもない。そして、洗濯機は、そのスイッチを父親が入れてこのかた、ずっと回りつづけているのだ。その洗濯機を止めようという気には特にならず、この光景をぼーっと眺めている自分。