2年近く前の、

人生における成功って何だろう。例えば、すばらしい結婚生活を送ることや、社会的地位やお金を得ることなどが、成功の具体的な内容としてしばしば考えられている。これらが得られないと、その人の人生は失敗なのだろうか。例えば、「社会的地位を得ることが自分にとっての成功だ」と考える人がそれを得られないとしたら、その人は人生の落後者なのだろうか。
そうではない。ここで言う成功とは、何かを欲しいと望む欲求が満されることに過ぎないからだ。その欲求が何らかの理由で満たされない可能性はいくらでもある。
いままで、自分にとっての成功は、すばらしい愛の関係を得ることと、自分の学問を確立することだ、と考えてきた。

という文章の続きを書いてみようか。
いままで、自分にとっての成功は、すばらしい愛の関係を得ることと、自分の学問を確立することだ、と考えてきた。しかし、仮にそのどちらも得ることができなかったとする。私は人生から落伍してしまったのだろうか。
 そもそも、落伍とは何だろう。軍隊が隊列を組み、行進している、その行進に付いて行けぬ者を落伍者という。人生は、人々と行進していくことだろうか?明らかにそうではない。色々な方向に、色々な場所に、独りで、あるいはパートナーや友人と歩くこと、それが人生だろう。
人生における落伍という概念は、それを使いたい人が使うもののようだ。使いたい人とは、人々に隊列を組ませたい人や、自分が隊列を組んで行進しているという快感や安心感に浸りたい人である。
自分にもそういう面があるので、「人生の目的を設定し、それを達成した人」という隊列に加わりたい、と考えていたのだろう。
隊列に加わる必要はない。無目的な人生を歩むもよし、目的があったとして、それを達成できなくともよし。
自由である。社会的責任を果している限り。