私の父親の、あるいは家族の問題を知る、隣人や親戚の誰一人として、

私に手を差し伸べなかった。バブル時代だった当時、クルーザーを持つほど羽振りが良かった叔父が(そう。父親を刑事告発した叔父である。)大学院の入学金として15万円ほど貸してくれた(私なら貸すのではなく、当然寄付するところだ)。
 だが、それは両親から、叔父に借金をしに行けと言われてのことだ。そのとき私は感謝というより、むしろ屈辱をすら感じていた。彼は「教育は最高の投資だからね。」と言った。そして、その借金は、卒業後に私自身が返したのである。親がそのことについて何か済まないとか、何とか、言ったかどうかについての記憶はない。
 私が現在のポジションに昇任したとき、誰一人として、「あの家庭環境の中でよくここまできたね。あなたはよく頑張ったよ。」とは言ってくれなかった。おめでとうの一言さえ言ってはくれなかった。彼等は皆、一人の例外もなく、しれっとしていた。あたかも何もなかったように。
 私はそのような体験を通じて、基本的に世間とは、かくの如く、隣人や親戚の不幸でさえ、その原因が社会的に正当化され得ない類のものであればなおのこと、無関心を決め込むものなのだ、ということを、痛いほど心に植え付けられている。
 私は、親の隣人や親戚の誰一人として、頼りに思ったりすることはない。
#だが、数少ない自分の友人は別だけれども。