21日の日記についてちょっと考察。

自分はリアリティの対決を避けていたし、そのようにすることを家族内の暗黙のルールが支えてもいた。その結果、自分は怖れること、耐えることしかできなかったのだ。自分の力で事態に対処するということがなかったのだ。

このことが、現在の私の問題点の一つである、自分で研究をし論文を書くという、現実との本当の接し方(*)として自分が選びとったアクティビティーに、どうしても入っていけない感覚や行動様式を形成しているような気がする。
現実に対峙することは恐怖であり、それを否認すること、それを傍観することしか自分にはできない、そういう行動様式を私は身につけてしまったのではないだろうか。

(*)(科学の)研究とは、現実世界を咀嚼し、論文という形に表現するものだ。