もういっちょう考察。というか、カウンセラーの意見。
このように、「心身を何かに拘束された状態で、心身が傷付く状況に強制的にさらされる」ことを、虐待と言う。虐待を行なったのは、何よりも父母。
これこれが自分の権利である、とか、父親や母そして当時の大人たちを断罪することは、どちらかというと論理的、言語的な、頭で考えること。
それよりも、当時の自分が、
- 誰でもいいから助けて欲しかった
- 父親や母親に甘えたかった、頼りたかった
- 平和な家庭が欲しかった
- 父親はちょっとエラい人なんだぞと思いたかった
- (他にもいっぱい、いっぱいあったと思う)
というように「感じていたこと」に思いを致すほうがいいのでは、とカウンセラーは言った。自分にとっては、家庭の様々な問題を目にしたときに、目を覆うこと、つまり感情を鈍麻させることが常態化していて、今はその時は感じなかったことになっていた感情を思い起こす作業が、まずは重要だ、ということ。