父親が僕に言った言葉。

「結婚するなら、価値観の合った人がいいと思う。
お父さんとお母さんはそうではなかった。」

両親が離婚にまで至った原因は何だったのか。
そして、父が言う「価値観」とは何か。
父が言う「価値観が合う」とは?

要するに、あの人は、自分と「価値観」が「合う」人がいると思っているのだ(驚くべきことに!)。そんなに価値観が合う人と結婚しなければ、というのなら、病的に反社会的な価値観を持ったような−ということはおそらくは反社会性人格障害の範疇に入るような−女性と結婚する位しかないだろう。そうでないなら、彼の反社会的な価値観を共有できる女性などいないに等しい。

仮にそう見える女性がいるとするなら、その人は共依存症であって、いつの日か彼女の力で父親を更生してみせようと、なぜか考えてしまっている、というケースだろう。事実、母はそうであった。彼女は父と結婚する前に「私がこの人を正しい道に戻してみせる」というようなことを考えたと語ったことがある。

しかし...そのような結婚は、父が考えている「価値観」が「合う」人との結婚ではない。当然の結末として、それは破綻するだろうし、事実両親の場合はそうなった。

問題は、父親が、自分の反社会性を「価値観」として正当化していることだろう。が、一般的にあのようなゴミのような「価値観」を、何らかの形で正当化できるなら、私はここまで苦しまないはずだ。やはり論理を超越した了解不可能な仕組みが、彼の心に巣喰っているとしか言いようがない。

これでは、この文章は単に彼が人格障害のような、病的な傾向のあるパーソナリティの持ち主であるという、既知な事柄の一つの表れを記しているのに過ぎないことになってしまうが。

自分としては、父親憎し、許し難し、という怒りをこのような文章で表現しているつもりだが、実際にはそうではなくて、怒りの感情を生む原因を論理的に掘り下げている、ということになる。怒りを文章で表現するなら、論理的な分析の対極にある、「詩」の形を取ったほうがよいのかもしれない。が、私には詩など書けない。

...父は詩人であった。