今更ながら気が付かされることだが、

自分の育った家庭では、父親の罪と、両親の間の壊れてしまった愛が、隠されていた。
 隠されていた、と言っても、「あたかもそういう問題が無いようにふるまう約束になっていた」のである。この約束は、家族が一同に会する場面ではことに忠実に実行された。そして、私と母のみが居る場においては、しばしば破られた。逆にち父親はどのメンバーと居るときも、問題を認めなかった。とにかく、家庭内の「公の場」で父親の問題が語られることはなかった。
 母が父親の行状を、まるでクライエントがカウンセラーにそうするように、私に訴える。私にとってそれは一種の虐待に等しかった。少なくとも当時、自分にとって父親は大切な人だった。その人が実に非人間的な行ないをしているのだ、という。さまざまな状況証拠から、どうみても母の言うことは真実である。一方で、そのことは公的には決して語られない。父親と一対一で話しても、問題自体を認めない。いや、そもそも、父親とそのような話をすることは、あまりにも怖くて(事態が本当にリアルなものになるのが怖くて)、ほとんどできなかった。
 自分はリアリティとの対決を避けていたし、そのようにすることを家族内の暗黙のルールが支えてもいた。その結果、自分は怖れること、耐えることしかできなかったのだ。自分の力で事態に対処するということがなかったのだ。
 自己規制と、家庭(正確には両親対子供)という場の持つ柔らかな締め付け。
 このように、「心身を何かに拘束された状態で、心身が傷付く状況に強制的にさらされる」ことを、虐待と言う。
 虐待を行なったのは、何よりも父母。
 では自分どうか。
 子供時代の自分は当てはまらないだろう。なぜなら、家庭内での子供が、リアリティと対決することは極めて難しく、通常は家庭内暴力自傷行為といった問題行動を起こす位しかないため、子供がリアリティとの対決を避けたからと言って、それは指弾されるようなものではないからだ。子供だった私は、私自身を守ることが下手だった、とも言える。目を覆うことが、自分を拘束していることに結果的につながるからといって、あの状況で目を覆わないでいられたろうか?
 だが、子供時代ではなく、例えば20代の頃の自分はどうだったのだろう。ことに、就職して自立した後は?
 自己を正当化をすることもできるし、自分にも非があることを認めることもできる、というところなのではないか。