実は現在父親と縁を切った状態にある。

彼とは音信不通なのである。このことは、もはや自分の悩みが現実として(つまり実際に父親とのダイレクトな関わりとして)存在しているのではなく、今となってはむしろ自分の心の問題として存在していることことになりますよね、とカウンセラーは言う。
とはいえ、自分にとって、父親の問題はまだ実感できるリアリティがある。例えば、毎月かなりの額のローンを返済しているし、そもそもカウンセリングを受けている原因は父親にある。
理論的には、父親に対して損害賠償や、慰謝料を請求する訴訟を起こすことだって可能だろう。そのようにして、彼と、彼がしでかしたことというリアリティと対峙する、問題に直接的に対処することができそうにも見える。
だが、本当に僕がしたいことはなんだろう?訴訟に勝って、現在の問題に関しては損害賠償が、過去の問題に関しては慰謝料の支払いが、それぞれなされるべき、という虚しい判決を引き出すことだろうか。民法上の解釈を裁判所にオーソライズしてもらうことが、何か意味があるだろうか。判決が出たからと言って、彼がそれに従うとでもいうのだろうか。彼はこれまで、民事訴訟で受けた判決に従わなかったことがたびたびある。何人かの人がそれで泣き寝入りをしている。破産にともなう裁判で、免責判決が出れば、それだけには喜んで従う、そういう人間である。
いや、そういう裁判など実効性がないとかあるとか、ということは本質ではない。
本当に僕がしたいことはなんだろう。彼が罪を認め、僕が子供の頃、そして大人になってからも、様々な辛さに耐えながら生きてきたことを本当にわかってくれて、自分で自分のケツを拭くことである。
だが、裁判を起したからといって、本当の意味で彼が罪を認め、反省し、ケツを拭くだろうか。カウンセラーの意見は、その可能性は極めて低いだろう、というもの。実際、彼は酔っぱらって、真夜中に一方的に携帯電話に「ごめんねー。借金は必ず返すから」という、自分にとっては迷惑以外の何物でもない電話をかけてくる人間である。
彼は謝罪しない。できない。謝罪の意味を知らない。彼は筋を通さない。筋とは何かを知らない。
でも、やっぱり彼にぶつかりたい。彼を問い詰めたい。彼を論破したい。彼をぶん殴りたい。てめえのしたことはこれだけの痛みを俺に与えた、ということを、彼の目に見える形で示したい。
つまり、彼に自分の辛さをわかってもらいたいのだろう。彼に受けとめて欲しいのだろう。
だがそれは難しいことだ。

彼は壊れた人だから。

実際、彼は、もう自分は責任を果たしたのだ、とすら心の片隅で思っているだろう。子供もちゃんと育ったし、と。母も僕が支えれば生活位はしていけるだろうし、と。私は彼の子だから、彼のそういう考えは手に取るようにわかる。
DV(家庭内暴力)のケース同様、自分のケースでは、被害者は、加害者から物理的に距離を置いて、関係を断つことが最も優先されるべき、というのがカウンセラーの意見なのである。
それはそうかもしれない。
でも、そうだとするなら、僕の怒りは、寂しい気持ちは、虚しさは、どこに向ければいいの?どうやったら、子供の頃の気持ちを整理できていない自分を育て直せるの?
喪失体験の最終段階として、喪失してしまった対象を取りもどすことはもうできないのだ、という「納得」をする、ということがあるらしい。
自分は、子供時代の家庭を、子供時代そのものを、子供時代の感情を、喪失したが、そのことには納得できてなどいない。できるはずなどない。むしろ今、それらの喪失についてとてつもなく大きな怒りの渦の中に居る。